上越民報

1999年7月11日 bP42


目次
■国立高田病院→市民病院 新病院の概要示される
■原水爆禁止国民平和大行進 柏崎市から長野県へ


国立高田病院→市民病院
新病院の概要示される

 来年三月一日から、上越医師会が経営する市民病院として生まれ変わる国立高田病院。その新病院の概要が、厚生常任委員協議会で示されました。
 日本共産党は、国立高田病院の国立での存続と、医療機能の充実を国に求めてきました。国立高田病院の医療機能が、どれだけ引き継がれるのか。医師、看護婦をはじめとした職員の処遇がどうなるのか。開院まで八ヶ月というのに、不明な部分が多々あります。

院長候補は決まったが
 新病院の院長として、自治医大消化器外科の笠原小五郎氏が内定しました。医師数は、「七名程度」というだけで、これから人選するようです。

診療科目は
 内科、外科とリハビリを含む整形外科が標榜科目です。これまで、国立高田病院の重要な診療科目であった呼吸器科の存続が不明です。廃止となれば、患者さんは、他の病院に移らなければなりません。

結核病棟廃止
 現在二〇床ある結核病棟が廃止され、新潟西病院に統合されます。結核の集団感染が全国で相次いでいるときにです。
 十数人の入院患者があり、これらの方の処遇をどうするのかが問われます。「新潟に入院」「新潟へ通院」とは行きません。

療養型病床群
 いわゆる「老人病棟」です。第一、第二病棟が、療養型病床群に対応できるように改装中です。全病床一二五のうち八〇床にもなります。
 一般病床が大幅に減少する可能性があります。

改装費用は国が出します
 厚生省は、国立病院に対して、施設整備をしない、診療機器を更新しないという「立ち枯れ政策」をとっていました。それが一転、建物整備に四億二千万円、機器整備に一億二千万円もの大盤振る舞いです。

採算は不明
 国立病院としての採算は、九年度が二億数千万円の赤字だったものが、十年度には一億二千万円ほどの赤字に「改善」されたといいます。
 新病院は、公営企業法に基づいて、独立採算となりますが、採算見通しは、明かにされませんでした。

医師会が採用
 市民病院の職員は、上越医師会が採用し、上越医師会の職員となります。 しかし、勤務条件がまったくわかりません。最低、今の労働条件は維持すべきです。

職員の処遇は
 三月一日の譲渡まで、八ヶ月しかないというのに、未だに、職員に対する説明会が行われていません。
 市民病院に残るか、柏崎や犀潟の病院・療養所に移るかの意向調査も行われていません。
 職員とその家族の方々の生活と将来にかかわる問題が、軽く扱われていないでしょうか。

移譲と譲渡
 職員の五割以上が新しい病院に採用されると、全施設を無償で移譲されます。三割以上5割未満ですと、九割引で譲渡となります。無償で移譲を受けるには、半数以上の職員を引き継がなければなりません。

対象は正職員
 この移譲か譲渡かを決める職員の対象は、八七名の正職員だけです。

臨時・パートも引き継ぐべき
 国立高田病院には、臨時やパートの看護婦さんなどもたくさん働いています。全員で、今の医療を支えているのですから、当然、新病院に引き継ぐべきです。

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原水爆禁止国民平和大行進
柏崎市から長野県へ
7月1日〜3日

世界大会は長崎
 広島・長崎に原爆が投下された一九四五年八月から五四年。今年の原水爆禁止世界大会は、長崎で開かれます。

柏崎から
 この大会に向けて歩きつづける原水爆禁止国民平和大行進が、七月一日、柏崎市から上越市にやってきました。
 一日夕方、保倉川河畔の平和公園で合流し、屋台会館横の海浜公園まで行進し、引き継ぎ集会。議員団からは杉本敏宏議員が参加しました。

市町村訪問
 二日は、二手に別れて、上越地区内の各市町村を訪問。最初の訪問は、上越市。樋口良子議員の案内で、総務課を訪れ、ペナントへの署名などのお願い。快く応じていただきました。新井市や中頚城、東頸城の町村を訪問しました。

市内を行進
 三日は、あいにくの雨模様。労働組合員をはじめ、諸団体から八〇名ほどが行進に参加しました。
 杉本議員が行進に参加しました。
 九時、海浜公園を出発。上越大通を南下します。木田交差点近くのお寺で休憩。ふるまわれた麦茶などでのどを潤します。
 栄町から高田の本町通へ。行き交う車から不思議そうに見る目。大手町通りから、高田公園へ。ここで、昼食休憩。

長野県へ
 午後は、一路新井市へ。そして妙高高原町に入り、町内を長野県境まで行進。
 ここで、長野県に引き継ぎました。
 平和行進は、長野県から山梨県などを通り、東京まで歩きつづけます。

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