上越民報

1998年8月30日 bP12



目次

上越市議会九月議会9月8日(火)から始まります
国立高田病院は国立のままで
夫婦で火打山に行ってきました


上越市議会九月議会
9月8日(火)から始まります

 前号で9日としたのは誤りです。お詫びし、訂正します。詳細な日程は、31日に開かれる議会運営委員会で協議し、決められますので、次号でお知らせします。

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国立高田病院は国立のままで
「なぜ今国立病院が必要なのか?」
市民のつどい、140人の盛況

市民ら百四十人参加

 「なぜ今国立病院が必要なのか」市民のつどいが、二十一日夜、南高田町内会館で開かれました。上越地区労連と全日本国立医療労働組合高田支部(国立病院労組)の共催で開かれたもので、同組合員をはじめ、病院周辺の市民や患者など、140人もの参加で、会場あふれるばかりの盛況でした。

移譲の中身は「白紙」です

 厚生省は、二月十六日に、国立高田病院を柏崎の新潟病院に統合すると発表しました。これを受けて、上越市は、高田病院の施設を譲り受け、医療・保険・福祉が一体となった施設を整備し、上越医師会に運営を委託するという構想を発表しました。しかしその後、上越地区労連の申入れに対し、上越市は、「白紙」と態度表明しています。

地域・全県一体で

 上越地区労連の本間議長は、「地域が一体となって、国立高田病院を守ろう。」と開会あいさつ。
 樋口虎司国立病院療養所統廃合移譲反対県共闘会議副会長・県医労連執行委員長は、県内の統廃合の動きなどにもふれ、全県で運動を盛り上げていくことを表明。

国立の役割重要、移譲病院は赤字

 全医労中央の田岡靖久副委員長は、「国の医療政策及び全国関信内における統廃合状況と現状」について報告。
 戦後はじめて国立病院がつくられた。そして、地域医療に重要な役割を果たすと同時に、難病などの不採算医療や高度専門医療に力をつくしてきた。廃止対象の病院は、規模が小さい病院が多く、特に地域になくてはならない病院が狙い撃ちされている。住民の反対が強く、厚生省が統廃合の条件を緩和したが、遅々として進んでいない。
 自治体に移譲された病院は、どこでも赤字で、医師会に管理委託した所では、採算が合わないことから、医師会が撤退し、行政が赤字を埋め合わせしている。

市長の一存では決められない

 「上越市の動き及び国立高田病院の役割」について、杉本敏宏市議が報告。
 上越市議会は、昭和六二年に統廃合に反対する意見書を採択し、政府に提出している。これを覆す決議がされていないから、これが市議会の公式態度である。
 上越地区労連や国立病院労組の対市交渉では、「国立で残す」ということを明言してきている。
 住民が「国立で」と言っているだけではなく、お医者さんの中にも「国立病院は必要」という声があり、医師会が経営することに異論もあると聞いている。
 四月の地区労連の交渉で、助役は、「白紙です」と言っている。がちがちに決まってしまったというものではない。みんなが力を合わせれば、道は開ける。闘う伝統を持つ国立病院労組は、がんばってほしい。

こんないい病院なくせません

 国立高田病院の患者や元患者などで組織する青葉の会の川住重信副会長は、患者の立場から発言。
 他の病院と比べると国立高田病院は、本当に親切で丁寧だ。安心してかかれる。南部地域の中心病院でもあり、今後人口増も予想され、地域医療の中核として、どうしても残す必要がある。青葉の会としても、国立で残すために力をつくす。

退職者だって

 国立高田病院の退職職員で組織する全医労新潟地区協退職者会の古舘正男会長は、かつて診療科目も多く、地域のために頑張ってきたことなどを振り返りつつ、現職職員と一体となって、存続のためにがんばると発言。

勇気が湧いた、自信を持って

 最後に閉会の挨拶に立った寺島義雄国立病院労組支部長は、それぞれの発言を振り返りながら、「勇気が湧いた。自信を持って前進しよう。」と結びました。

これからですね

 参加者の一人は、次のように話していました。
 「決まってしまった」のでもうだめだと思っていました。でも、皆さんの話を聞いて、まだまだこれからなんだと思いました。そんな元気をもらった集会でした。

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夫婦で火打山に行ってきました

 八月八日九日と、夫婦二人で火打山に行ってきました。結婚して以来、二人だけで行くのは、二回目です。
 雨の高田から抜け出て、青空の広がる笹ヶ峰に。先を歩く妻の調子がよく、予定よりも早く、高谷池ヒュッテに着く。超満員。築田氏に無理なお願いをする。その日のうちに火打山に登る。いたるところ、秋の気配。焼山は白い噴煙。雲海が支配する北側。妙高はこれまた雄大だ。
 夜は、満天の星空。
 黒沢池にまわる。青い八角屋根のヒュッテまでの下り。そして、広大な黒沢湿原。木道と水芭蕉。小尾瀬にたとえられる。雪に耐えた老岳樺に生命の力強さを感じる。妻の感嘆の声。
 富士見からは、もと来た道。昔から休憩場所といわれている所で休まず、その中間などで休んでいる人が目立つ。ルートの不勉強か、それとも登り方が変わったのか。    杉本敏宏

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