日本共産党上越市議会議員杉本敏宏
市政レポート

2002年10月27日 bP6

目次
☆新井〜新潟間一日三往復 快速列車が走ります JR12月ダイヤ改正で
☆合併特別委22〜23日上尾市、西東京市を視察
☆東本町5丁目 町史「暁光」を発刊


新井〜新潟間一日三往復
快速列車が走ります

JR12月ダイヤ改正で

 JR東日本新潟支社がこのほど発表した「平成14年12月ダイヤ改正」の概要で、新たに新井〜新潟間に快速電車を一日三往復運行することが明らかになりました。
 新潟県内の上越地方と県都新潟市とを結ぶJR信越本線は、昨年12月のダイヤ改正で、直行便が減らされ長岡で新幹線に乗り継ぐなど、大幅に悪くなっていました。
 「越後のふるさと線を水と緑を守る会」(尾崎靖弘会長)や国鉄労働組合直江津支部(内山潔支部長)は、こうした状況を改善しようと「列車利用アンケート調査」に取り組んできました。その中で、利用者の間から「直行便がなくなって不便に感ずる」という回答が多く寄せられ、「改善してほしい」との要望が強く出されていたものです。
 両組織では、「行政などにもお願いしよう」と、今年3月の上越市議会に、「列車ダイヤの充実と利便性の向上を求める請願」を提出しました。紹介議員になった樋口良子、杉本敏宏両市議が、他会派議員にも働きかけた結果、不便に感じていた議員も多く、全会一致で採択され、ただちに議長名でJR新潟社長宛に要請書が提出されました。一方、上越市なども独自に住民要望をふまえ、同趣旨の要請をしていました。
 今回の快速電車の運行は、こうした住民運動と、議会、行政の声を反映したものといえます。
 ふるさと線守る会の尾崎会長は、「要望が実現してよかった。廃止された回数券の復活など利用者からの利便性向上への要望はまだまだたくさんあるので、いっそう運動を強めていきたい。」と語っていました。

(10月21日付け『しんぶん赤旗』より)

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上尾市、西東京市を視察

22〜23日、合併特別委

 10月22〜23日の両日、上越市議会の市町村合併対策特別委員会で、埼玉県上尾市と西東京市を視察してきました。

上尾市
 22日に訪問した上尾市は、埼玉県の中央に位置する人口約21万7千人、面積45・5Kuの都市です。7人(定数32人)の日本共産党議員団がおります。
 上尾市は、浦和、大宮、与野3市が平成13年5月に合併してできたさいたま市と合併するかが大問題でした。
 合併を推進する団体から出された条例制定請求により、住民投票条例が作られ、さいたま市との合併を問う住民投票が、平成13年7月に行われました。結果は、賛成4万4700票、反対6万2382票で、合併しないことを決めました。
 行政として、パンフを全戸に配布したり、176回の説明会を行い1万人が参加。合併に反対する3団体が、活発に活動したといいます。

西東京市
 23日に訪ねた西東京市は、平成13年1月に田無市と保谷市とが合併してできた、人口17万9千人、面積15・9Kuの都市で、46人中8人がわが党議員です。
 両市の合併構想は、昭和の大合併の頃からあり、昭和40年には法定協がつくられたことがありました。
 今回の合併は、平成5年から動き始め、平成10年2月に任意協設立。新市将来構想が策定され、平成11年10月に法定協に移行しました。
 平成12年4月、合併反対派から住民投票条例制定の直接請求が提出されたが、これを両議会とも否決。代わって、合併賛否のほかに新市の名称などを聞く、18歳以上の市民を対象とした市民意向調査が行われました。
 結果は両市とも賛成多数で、合併となりました。

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東本町5丁目
町史「暁光」を発刊

年  号 で  き  ご  と
1943(昭和18) 吉太郎、春枝結婚。
1944(昭和19) 東本町4丁目で長く続いてきた「お料理 杉本」(通称「あぶらさ」)の店をたたむ。
1944(昭和19) 東本町4丁目で長く続いてきた「お料理 杉本」(通称「あぶらさ」)の店をたたむ。
1946(昭和21) 敏宏、誕生。
1948(昭和23) 秀子、誕生。
1948(昭和23) 吉太郎の母、スイ死去。
この間 東本町4丁目八幡宮近くに転居。栄町に転居。
1951(昭和26) 朱実、誕生。
1953(昭和28) 東本町5丁目の現在地に転居する。
1954(昭和29) 道子、誕生。
1962(昭和38) 杉本吉太郎死去。享年四六歳。
1969(昭和44) 敏宏、信州大学を卒業し、蒲L沢製作所に就職。後、菱有工業鰍ヨ。
1975(昭和50) 敏宏、定子結婚。
1981(昭和56) 美穂、誕生。
1982(昭和57) 敏宏、ネパールヒマラヤランタン谷をトレッキング。
1984(昭和59) 深雪、誕生。
1990(平成2) 敏宏、旧ソ連天山山脈ハンテングリ峰(7010m)に挑戦。
1992(平成4) 敏宏、田部井淳子氏らとともにネパールへトレッキングに行く。
1993(平成5) 敏宏、上越市議補選に立候補。落選。
1996(平成8) 敏宏、上越市議選で初当選。
2000(平成12) 敏宏、市議選で当選。二期目。
2001(平成13) 春枝、喜寿。

 私が住む東本町5丁目の町史「暁光」が、この十月に発刊した。A4版で150ページを超える大作である。
 同誌の「編集後記」によれば、「平成十一年(一九九九年)七月、『町史編集委員会』が発足しました。…編集委員会発足以来、三年余を経過してようやく印刷製本にまで来ることができました。」
 編集委員会と町内会理事の奮闘のたまものである。

 表紙の題字「暁光」について、次のように書かれている。

 当町は、江戸時代には高田城下町の交通の要地であり、流通・経済の要地であった。明治に入ると、坂口七平氏の精油所をはじめ多くの事業所ができて、高田町の近代化の先駆けとなった。
 このようなことに加え、高田町の東に位置する当町は、高田町のどこよりも早く早朝の光(暁の光)が差し昇る町として、町民一人一人が自信とプライドをもっていた。(中略)
 「暁光」は、東本町五丁目の代名詞といっても過言ではない。

 10月14日、町内会館でささやかな発刊記念式が行われ、こもごも町への愛着の言葉が語られた。東本町5丁目は、世帯数が年々減少しつづけ、高齢化率が30%にならんとする町だが、そこに住む人達の心意気が感じられる取り組みだった。

 「この町史を見ていくと、経済成長とともに町が寂れていくのがわかる。町内行事も減っていくんだよね。」とのことばに淋しさを感じた。

 この「町史」には、素晴らしい特徴がある、と思う。

 @何と言っても、「第五章 我が家の歴史」だろう。昨年全戸に記入用紙が配られ、取り組まれた。39家の「歴史」が掲載されている。「我が家の歴史」などは、通常はあまり語られないものだ。長い歴史を持つ家もあれば、新しい世帯もあり、「このうちはこういう家だったのか」と認識新たである。(ちなみに、我が家の掲載文を下記に示す。)
 A「第六章 自然とくらし」もユニークだ。大地の形成からはじまって、町並みの形成、動物、畑の作物、植物と続いている。
 B第一章から第四章までは、「町の歴史」を綴ったものだが、第四章の「戦後の民主化と歩み」は、圧巻である。町内の様々な団体の動きが克明に記されている。自分自身の歩いてきた道とも重なり合い、「そんなこともあったなあ」と鮮やかに思い出されることも多い。

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