平成11年 11月 臨時会(第1回) − 11月15日−01号

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◆1番(杉本敏宏君) 私は、日本共産党議員団を代表して総括質疑を行いたいと思います。
 まず、最初の質問は議案第101号財産の取得についてであります。この議案は、埋蔵文化財センター等の建設のために、旧県立上越テクノスクール跡地1万8,859平方メートルを1億3,570万円で新潟県から購入するというものであります。そして、提案理由でも述べておられますが、この構想の発端となりましたのは、上信越自動車道の建設に伴って新たに裏山遺跡の保存要望も出されたことなどもあり、それらを考慮しながら埋蔵文化財センターの建設を計画し、準備を進めてきたと述べておられます。
 この裏山遺跡は、御承知のように1996年8月31日に開かれた新潟県埋蔵文化財調査事業団の現地説明会で公になったものであります。その直後に開かれた9月議会で、亡くなられた藤塚和生議員が直ちにその保存を提起されました。私たち日本共産党議員団もこの遺跡の重要性を認識し、裏山遺跡を守る会にも加わって研究者の方々と行動をともにしてまいりました。当議会においても、たびたび裏山遺跡の問題が取り上げられ、97年3月31日の全員協議会では、市長が残せるものなら保存したいと保存運動を最後まで継続したい意向も語っておられます。そして、それに先立つ3月議会では、裏山遺跡を守る会に結集した研究者らから出された裏山遺跡の保存を求める意見書が採択されたのでありました。
 裏山遺跡を守る会では、文化庁、道路公団を初め県や上越市、市教育委員会などに遺跡保存について精力的に陳情や申し入れ活動を展開すると同時に、発掘された遺物の調査研究のための埋蔵文化財センターの建設も要望してきたのであります。しかしながら、全国から「裏山遺跡を残せ」の声を無視する形で、1997年5月13日午前8時、研究者らの目の前で重機によって裏山遺跡は破壊されてしまいました。この直接のきっかけは、その前日の12日に上越市が裏山遺跡の現状保存は断念せざるを得ないと表明したことにあるというのは、保存を要請し続けてきた全国の研究者らの共通の認識であります。このときに発表された上信越自動車道と裏山遺跡についてという配付資料では、次善の策としてボックスカルバート工法による景観修景への配慮を公団に強く要望してきたこと、その結果、公団、県と協議を進める中で、このたび公団からその実現に向けた方向性が示され、公団、県、市の三者で協議会を設置し、上信越自動車道、裏山地区の山並みの修景の確保などについて協議を進めていくことで合意したとなっておりました。
 三者協議会がその後どうなったのか、裏山地区の山並みの修景の確保がどうなったのかなど、お聞きしたい問題は山ほどありますが、きょうはそれらは割愛し、以下の3点について質問したいと思います。
 まず一つは、提案理由の要旨では、「埋蔵文化財センターの建設位置として最もふさわしい旧新潟県立上越テクノスクール跡地を念頭に置いて県とも協議を進めてまいりました。そして、このたびようやく特例減額措置の適用を受けて県より購入できる見通しが立ちましたので、これを機に当該土地を取得することとし、減額措置の適用期限である本年11月23日までに新潟県との間で売買契約を締結するものであります」と述べております。寄附受け財産の場合には、県の要綱等によりますと、経過年数が20年を超えますと10年ごとに減額率が10%ずつ低下していくことになっております。本年11月23日で30%から20%に低下してしまいますから、その前に売買契約を締結したいとする意味は十分理解できるものでありますが、問題はなぜ期日ぎりぎりまで交渉が長引いたのかということであります。県との間でどのような譲り受けの交渉がなされたのか、期限間際になった理由は何か、県との交渉経過をお聞かせいただきたいと思います。
 二つ目でありますが、今回委員会資料として埋蔵文化財センターの施設設置構想図が提示されました。研究者の方々に、埋蔵文化財センターとは何をする施設ですかとお聞きしますと、埋蔵文化財についての保存、調査研究の施設というのが共通した回答であります。単なる遺跡の保存場所ではないということであり、調査研究施設であることが強調されております。そこで、建設が計画されている埋蔵文化財センターについてどのような構想を持っておられるのか、お聞きしたいと思います。
 三つ目でありますが、遺跡の発掘が開発行為によって行われ、破壊されていくことに、例えば裏山遺跡が破壊された直後の1997年6月4日の新潟日報の投書のように、研究者のみならず、多くの市民の方々も危惧の念を抱いております。また、埋蔵文化財センターについてもさまざまな意見があります。こうした地域の研究者や専門家の意見をどのように取り入れていくのか、お聞かせいただきたいと思います。
 さて、二つ目の質問、第2の質問でありますが、議案第102号訴えの提起についてであります。市長は、提案理由の中で、市長選挙について触れておられます。この訴えは、上越市が提訴するものであります。上越市が提訴することと市長選挙云々とは、直接関係ないのではないでしょうか。この提訴の説明で、市長選挙に触れた真意は何でしょうか、お聞かせいただきたいと思います。
 以上であります。

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◎市長(宮越馨君) まず、1点目の御提案いたしました購入地は、旧高田市が昭和34年11月24日に新潟県に寄附したものでありますが、上越テクノスクールが藤野新田地内へ移転、竣工した平成8年6月に新潟県から寄附者である当市に対して購入希望の照会がありました、平成8年。寄附者には、新潟県財産の交換、譲与、無償貸付等に関する条例及び普通財産の譲与、無償貸付等の取扱基準により、その土地を公共の用に供する場合は20%の公共減額、さらに寄附後の経過年数が30年を超え、40年以下の場合は30%の寄附減額の特例が適用されることになっております。しかしながら、仮に公共減額や寄附減額の特例措置を適用されたとしても、高額な用地費と将来構想を含めた跡地利用としての施設整備に多額の財政負担が予想されるため、当初上越市土地開発公社により先行取得について県との折衝を続けてまいりましたが、土地開発公社には寄附減額の特例が適用できないという県の最終的な判断が示されるとともに、県の鑑定評価結果も提示されました。
 また一方で、私は以前から裏山遺跡を初め上越市にある数多くの遺跡や御馬山など、歴史上の貴重な文化財や資料を後世に伝えていくことが必要であると考えておりましたので、平成10年9月に埋蔵文化財センター建設準備委員会を設置し、検討に入ったのであります。あわせて施設の建設に当たっては、国、県の補助制度の適用を受けるため、これまで機会あるごとに要望、陳情活動も続けてまいったところであります。そして、ようやく建設準備委員会においても埋蔵文化財センターの整備構想について基本的な方向性が示され、跡地利用のイメージがまとまったことなどの諸条件が整ったことから、このたび30%の寄附減額の特例適用期限である今月23日までに市で土地を購入することとしたわけであります。
 ある見方によれば、なぜもっと早くかとか、別のタイミングというようなことかもしれませんが、もともとこれは今お話し申し上げたように、高田市が県に寄附をしたわけでありますから、常識で言って、一つは寄附したんだから、また要らなくなったんだからただで返してちょうだいよという、こういうことがもともとですよね。ですから、交渉というのはそこから始まったわけですよ、交渉は。そういうことで、寄附したものをまた買うなんて、何となく市民感情的におかしいと思いますよね。ですから、私もそういうふうに思って折衝を始めたわけですよ。
 しかし、今申し上げたような条例とか基準とか、そういったややこしい−−ややこしいというわけではありませんが、そういう決めがあって、つまり例外的にやれないということがわかったんですね。それはそうですね、ほかの自治体に対してもそういうことが例があるというわけでありますから、それは私どもの1件だけだったら、あるいは話し合いでなったかもしれませんね。ですから、そういうことではなくなっちゃったという、そういう30年の間の中にそういう事態も変わってきて、どうしても我々の気持ちわかるけど、やれないんだと、やってあげたいんだけどやれないんだと、こういう折衝がずっと続いてきたんですよ。で、土地開発公社は、じゃどうかとか、あるいは市がどうだとか、一般会計で買うとまた直接真水ですね、一般財源で支出しなけりゃなりませんから、これは相当お金が億単位でかかるわけでありますから、これもなかなかうまくいかないと。さりとて裏山遺跡が消失したり、あるいは埋蔵文化財センターの必要性もこれあり、そのころ合いというのが一つあるわけです。ですから、そこの中でも、それでもぎりぎり最大限一番いい状況の中で、決断してぎりぎりまで頑張るということの誠意を示しながら、ここで仕方ないということで、期限ぎりぎりになってここで選択される一番いい条件の中で、市民の税金を極力使わないようにする中で、こういう判断をしたという、そういう流れがあったことを申し上げておきます。
 次に、埋蔵文化財センターの構想に地域の研究者や専門家の意見をどのように取り入れていくかとのお尋ねでありますが、埋蔵文化財センター建設準備委員会には埋蔵文化財の専門家や市民代表のほか、裏山遺跡の保存運動にかかわってこられた方々からも委員に加わっていただいて、センターの基本的な理念や機能のほか建設場所などについても検討していただきました。ですから、皆さん方の仲間の方も入っております。その中で貴重な御意見も尊重するとともに、裏山遺跡の保存運動の経過や春日山城跡整備5カ年計画との整合、関連する施設の増設に備えた敷地が確保できることなどを考慮して、旧上越テクノスクール跡地がセンターの建設位置として最もふさわしいと考え、選定したものであります。
 また、センターの建設に当たっては、周囲の景観や環境、さらにはバリアフリーにも十分配慮し、センター機能が十分に発揮できるようなゾーニングや来館者にゆとりと安らぎを感じさせるようなスペース配分にも心がけてまいりたいと思っています。センターの機能としては、埋蔵文化財を適切に保存、管理して調査研究の成果を生かすことや、展示や情報提供を通じて市民の歴史学習を支援し、春日山城跡、越後国府、府中の研究に関する情報発信施設としての機能をも持たせたものにしたいと考えております。
 このほか、子供たちが春日山城跡、御馬山を含むわけでありますが、あるいは裏山遺跡を体感できるジオラマとしてでっかい、50分の1の、今の構想でありますが、実際に実物の50分の1の縮尺のジオラマというと何か、要するに模型みたいのですね、要するに小山をつくるわけですよ、実際の。その山に登っても体感できるぐらいのスケール、ですからグラウンドとかあの敷地いっぱいにそういう再現するということですね。一々春日山に登っていただければいいんですけど、なかなかきついですからね。登るときは、ぜひ1袋はお持ちになって登ってほしいんでありますが、子供たちは特にそんなことは無理言えませんし、そこの埋蔵文化財センターの一角−−一角といったってかなり半分ぐらいの面積になりますが、そこにそういうジオラマをつくって、土器などをつくる考古学の体験コーナーなども設置して、さらには将来構想として上越市の生い立ちから現在に至るまでのトータルな形で歴史を学ぶことのできるような歴史資料館や生涯学習センターなどの施設もあわせて整備したいと、こう考えております。
 今後建設計画の具体的な検討を進めてまいりますが、その過程において建設準備委員会や地元の方々などの意見も伺い、文化庁など関係機関の指導も仰ぎながら、建設に向けて一層の準備を進めていきたいと、このように考えています。
 今ほど裏山遺跡を失うときに、上越市が断念せざるを得ないということが失ったきっかけになったと、こうおっしゃいましたけど、何かそれだけ聞くと、何か私がみんな悪者みたいな感じしますからちょっと訂正させてもらいたいと思いますが、私も正直言いまして、そういう歴史的な遺跡については素人であります。ですから、なるたけ客観的に国とか県のところに行って、私自身が出向いて、あれは保存できないかということを強く訴えた経緯があります。そして、一番私自身の判断は、それは皆さん方も、私はあそこに残したいという気持ちなんですよ、本当の気持ちは。しかし、それはどれだけの価値があるかというところも判断の一つの大事な要素になりますから、これは国指定遺跡になり得るか、どのレベルの指定史跡になるかというところが私は知りたかった面がありまして、そのところで一番悩んだわけでありますが、最終的にはあれは国指定に値しないという御意見が専門家の、あるいはまた文化庁のそういう意向というか考え方が確認されましたもんで、これ国指定でないならば、じゃ別の方法でやれるところを考えていくことかなと、こう思って、例えば私がアイデアとして出したカルバート方式、一部トンネルがわりにやる方法でできないかというようなことを逆提案をしたことも、経過的にありました。しかし、タイミングが実はありました。既に基礎的なルート沿いにかたい物、コンクリートあるいはピアーがもう打たれて、それを変えるとなると相当何十億と言ったかな、10億ぐらいですかね、それぐらいの膨大なコストかかるし、またカルバートとかトンネルを、何でもいいからとにかくトンネルをつくるという場合は、3年も4年もこの先おくれるという、こういう話も実は聞きました。これ技術的なことで。
 ですから、今日の社会経済情勢等々、あるいはまた国指定になるならばともかく、そういうことでないんだったら、これは本当に次善の策で別のことを考えてやむを得ないかなという、そういう感想を、あるいは考えをまとめながら、渋々つらい思いで断念せざるを得ないかなということのコメントを出したことでありまして、私が好きこのんで、いやこれはもう要らないという話ではないんです。だから、断腸の思いであれを、私どもの立場ですよ、また別の立場で残せるのだったら残してほしいということを私は当然言い続けて、私の立場の考えをあのときあのように表明させていただいたわけでありますから、こういう立場でありますから、市長という立場であります、住民代表でありますから、初めから市長の最終判断をというならば、最初から私のところへ話が来ればよかったんですよ、最初から。ところが、県も公団も国も当事者の中で話を進めただけで、私どもに来た情報というのはかなりおくれてきましたから、既にあの裏山遺跡は丸坊主にされて、私も何回も登ったんですよ、登ったんだけど、もう丸坊主にされていたから、これは技術的に言うと崩落するだけで、なかなかこれを保存するには耐えられないという、こういう専門家の意見も現場で聞きながら、私の判断をまとめたわけですね。
 ですから、もっと前から、あれを裸にしない前から私の方に、私どもの方に情報が入っていれば、またやり方が変わったかもしれませんね。あるいはまた、ルートを決めるときに相談があれば、それはまた変わったかもしれません。ですから、その点については私は悔やんでいるんですよ。ですから、いろんな他の行政機関との連絡調整をして、結局は最後は私の所管の話じゃないんだけど、住民代表として私のところにつらい判断を迫ってくるというのが通例なんですね。ですから、所管外のことでも私はつらい思いをしていることを、この際御認識いただきたいと思いますね。ですから、私はこれほどつらい思いをして、あるいはまた黒田遺跡とか、いろんな産廃の場所の移転の問題とか、あるいは射撃場の移転の問題とか、みんな私が現地行ったり、あちらこちら行って交渉しながら、大変な思いを正直したんですよ。だから、大変な思いをしたんだから、当然開通、竣工式典のときは一言しゃべらせてくれるかと思ったら、しゃべらせてくれないんですよ。本当にこれは釈然としませんね。それで、一回も見たことないような人が堂々と来て、便々としゃべるというのは、ああいうの見てると本当にしゃくにさわるんですね、言っちゃ悪いけど。だから、そういうつらい思いをしているんですよ。何でもかんでも私はやりますよ、やりますけど、だから私の立場をよく理解して、わかったでしょう、笑っている暇はないんですよ。だから、私のいいことやっているときは褒めたりね、市長頑張れという、それぐらいエールを送ってもいいじゃないですかと私言っているんですよ。
 ちょっとまた議長から言われますから、余計なこと言うなと……いうことで、そういうことで本当につらい思いをして裏山遺跡を失うということは、これは私は死ぬまで忘れないでしょう、それは謙信公崇拝者でありますから、あの辺の一帯の御馬山を含めて、そして公団もいろいろな配慮してくれたんですよ、景観に配慮ということについては本当に真剣に公団も開削するけど、特に春日山城から見た場合の修景がおかしくならないかということで配慮していただいて、今は木が大きくなってはおりませんが、もっと大きくなると自然にロケーションが抵抗なく感じるような工夫をしてくれております。
 また、御馬山についても北陸高速道路をつくるときに、あのとき私が市長になっていればまた違ったことになったかもしれませんが、それは過去のことでありますが、片側を失っていたものを少し復元しようということで、あのジャンクションの内側のあいている部分について土盛りをしてくれたんですよ。ですから、御馬山の連続性を保つような工夫を公団は配慮していただいております。ですから、可能なことはすべてやっていただいたなということで、少しは留飲が下がったというような気持ちでありますが、先ほど申し上げたように、そういったジオラマをつくって、この際春日山城跡全体をその場所へ行けば目視で見れるという、そういう形のところで裏山遺跡も復元してみたいなと、こう思っております。
 次に、TBSの訴えの提起についてでありますが、TBSの虚偽報道によって被害を受けたのは上越市、上越市議会、広域行政組合、上越市民及び上越地域住民など広範にわたっております。私もその中に入りますよ、上越市民の中で私当然入ります。この虚偽報道の大きなねらいの一つが、今まで申し上げてまいりましたように、市長選挙に照準を合わせていたことは論をまたないところである。よく聞いてくださいよ、みんな。この際、あえて申し上げるならば、TBSは当市の公開質問状に対して、「放送日から市長選の告示までの時間が一月を切っていたこと」について、「番組担当者もこの点に非常な神経を使っておりました」と、こう言っているんですよ。こう言っていながら、放送予定は「当初のそれは9月7日」としていたのを、「それが21日に延期となったのです」というふうに答えております。なぜこの時期に放送をしなけりゃならなかったんですか。神経をとがらせていたら放送しなけりゃいいじゃないの。それは政治的にせっつかれているから、いや応なしに放送せざるを得ないというふうに、私どもはそう見ざるを得ないんですね。
 さらに、放送前日に不正があったと主張する現職の市議会議員、これ原文には名前入っていませんけど、またもう一回言いましょうか、小林林一議員、永島義雄議員、船崎信夫議員、そして当時は関原忠良議員を含む団体が、やっぱり市民からよく理解してもらわんと、税金使って訴えるんですから、放送番組の内容を宣伝したり、放送後に録画ビデオを多くの集会で放映するなど、当時異常とも言える状況があったことも御案内のとおりであります。TBSの「報道特集」が幾つもの虚偽の事柄を意図的につなぎ合わせた編集をして放送したことに加えて、こうした背景がより増幅されて多くの市民に大きな混乱を生じさせたことを考え合わせると、この問題は市長選挙と表裏一体の関係にあったことを指摘せざるを得ないんです。
 こうしたことから、虚偽報道による当市の名誉回復と同様な事件が二度と繰り返されないためにも、TBSの報道姿勢をきちんとただしていく必要があると考えるところであります。
 したがいまして、御質問の市長選挙に触れた真意につきましては、このように御理解をいただければありがたいと思います。

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◆1番(杉本敏宏君) 答弁をいただきましたが、幾つか再質問をさせていただきます。
 テクノスクールの跡地の問題ですが、県との交渉が長引いたことの話の中で、いろいろ言われました。この県の条例というのも突然できたものではなくて、相当古い条例でありますから、私の持っている資料では昭和46年、それは改正の年月日だと思いますから、もっと古いと思うんですね。ですから、上越市が譲渡した段階で既にそういうふうな中身があるというのはわかっていたはずだと思うんです。20年までは無償で返しますと、常識の範囲だと思うんです。20年を過ぎると、40%でしたかね、40%引きにすると、30年を過ぎると30%引き、それ以上、10年ごとに10%ずつ下げていきますよということで、私の見た目では極めて常識的な規定ではないのかなというふうに思っております。
 そして、これは条例の実施要綱みたいな形でそういうことが決められているんですが、条例そのものは上越市にも同じような条例が実はあります。文章を照らし合わせますと、ほとんど一緒の文章であります。ですから、私が心配しましたのは、市が県に対してそういう交渉をされたということは、逆な立場で言いますと、例えば一般市民の方が市に寄附をされた土地なりがあって、これが何らかの理由で使う必要がなくなって、もとの持ち主に返すときに、今上越市が新潟県に対してやられたのと同じことを一般市民の方から言われたときに、上越市はどういう対応をされるのかなということを実は心配したわけであります。そのときに、規定はこうなっているんだけれども、あんた方の言うことだからということで規定を曲げることはできないだろうなというふうに思いますから、私はそういう点では、これは失礼ではありますけれども、上越市が県に対してある意味では無理強いをされたのではないのかなというふうに思わざるを得ないんでありますが、その辺はそういう上越市に一般市民の方が同じようなことをされた場合にどうするのかなということも含めて市長のお考えがあれば、お示しいただきたいと思います。
 このテクノスクールの場所、それから施設の埋蔵文化財センターについての構想、専門家の意見をどう聞いていくのかということに関してもいろいろ答弁がございました。裏山遺跡を守る会の会員の方もその委員会の中に入っていて、その人たちの意見も聞いたということでありますけれども、私もまた何人かの研究者、専門家の方々に上越市からこういう構想が出されているんだがどうだろうかということで、御意見を聞いてまいりました。なかなか多彩であります。例えば今のテクノスクールの跡地、春日山の東の縁に当たりますから、そしてまたそのすぐ南には大手道の入り口があったり、監物堀の遺構があったり、いろいろしております。それで、あのテクノスクールを解体して、そこに新しく埋蔵文化財センターをつくるわけですが、あの下にはそういう遺跡、遺構はあるのかないのか、そういう調査をぜひともやっていただきたいというのが研究者の方々の声であります。
 御承知かと思いますが、奈良の話でありますけれども、富本銭が発掘された飛鳥池遺跡、あれは万葉ミュージアムというのを建設するために発掘していたら出てきたわけでありますけれども、そのミュージアムをつくるために遺跡は壊してしまうという、こういうことが今やられておりますけれども、これでは本末転倒なわけで、この埋蔵文化財センターをつくることがそういう二の舞になるようなことだけは避けていただきたいというのが皆さん方の御意見であります。
 それで、こういう建設に当たって事前調査が必要ではないかと思うのでありますけれども、その辺は今回の提案の中では不明確であります。市長のお考えをお聞きしたいと思います。
 ジオラマについてもいろいろなお話が先ほどありました。50分の1というふうに言われております。裏山遺跡の標高は90メートル程度ですね、それで東西170メートル、南北50メートルの大きさでした。おわかりだと思いますが、これ50分の1にしますと高さが2メートル足らずです。このくらいの高さですね、海抜から言ってです。そこの現地の標高から差し引きしますと70メートルぐらいにしかなりませんから、50分の1にしますと1.5メートルぐらい、このくらいの高さです。それから、東西が170メートルですから、50分の1にしますと3.5メートル、この程度ですかね。そして、南北が50メートルですから1メートルしかありません。この程度の小山をつくって、裏山遺跡の模型ですということでありますから、まさしく模型でしかないということになると思います。
 で、この模型で体験をしていただこうというわけでありますから、これはなかなか難しい話ではないのかなと。実際に研究者の方々からも言われております。「この規模で実際に体験できるのだろうか、この程度の大きさなら屋内につくって説明した方がいい」、こう言っておられます。また、別の研究者の方は、「外につくるのであれば人が立ち入って、例えば中学校の1クラスぐらいが立ち入って弥生のとりでを体験できるようにするべきではないか」と、このようにも言っておりますし、せっかくつくるのですから、こうした研究者の方々の声にも耳を傾けて本当に役立つものにすべきではないかと思うのでありますけれども、市長のお考えはどうでしょうか。
 埋蔵文化財センターの建物の大きさですね、2階建てで2,000平米というふうに言われておりますが、これについても多くの声が上がっております。端的に言って、「現在の発掘状況と今後のことを考えると小さ過ぎる」という声であります。「収蔵施設としては、この程度でいいかもしれないが」というふうにも言われております。しかし、「上越市は市町村合併を考えているようだが、合併した市町村の埋蔵文化財のことも視野に入っているのか」という、こういう御意見もありましたし、「合併しなくたって上越地域全体のセンターでなければセンターとは言えない」、こういうふうにおっしゃる方もおられました。「財政的に今すぐだめだとすれば、将来増築できる構造、建物配置にしておく必要がある」等々であります。全くもっともな御意見ではないかと思いますけれども、どのようにお考えか、こういう構想になるのかどうか、構想の一端をもう少し詳しくお話しいただければと思います。
 それから、裏山遺跡の遺物でありますけれども、これは県の所有であります。上越市の所有ではありません。したがって、埋蔵文化財センターで裏山遺跡の遺物も含めて調査研究をするとなれば、この遺物を県から譲り受けなければなりません。譲ってもらえる保証があるのかどうか。もしこれ譲ってもらえないとすれば、裏山遺跡の遺物なしの埋蔵文化財センターということになりまして、あるのは先ほど言いましたような高さが2メーター足らず、長さが3.5メーター、幅が1メーター程度の模型があるだけということになってしまいます。それで、この裏山遺跡の遺物、それからこれだけではなくて、上信越自動車道の建設に伴って発掘された遺物の大部分はたしか県の所有になっていると思うんですが、これらが上越市に譲り受けられるということにならないと、この埋蔵文化財センターは肝心なところが空っぽの施設になってしまうのではないかと、逆に言いますと、上信越自動車道の建設に伴って出土した遺物は収蔵しない、それは除いて考える埋蔵文化財センターだとすれば、あの程度の大きさでもいいのかもしれないという、こういう御意見もございました。
 こういう研究者、専門家の方々の御意見、いずれももっともなことではないかなというふうに思うわけであります。この上越地域、先ほども言いましたように上信越自動車道の建設に伴ってたくさんの遺跡、遺物が出ておりますし、上越市内だけでも破壊されてしまったので28か9あったと思いますが、それが新井から妙高高原までずっとそういう規模で続いていくわけでありますから、これらを総合的に収蔵して研究するということになると、大変な量になると思います。
 もう一つ、研究者の方からお聞きしたのは、上越市の場合ここ10年ぐらい、こうした遺物の研究報告が出ていないようだけれども、出土した遺物の整理が余り進んではいないのではないかというふうに危惧をされておりました。それで、お聞きしましたところ、新津にある埋蔵文化財センター、これはたしか県の施設だと思いますが、ここには15人ほどの専門家の方が調査研究をしていると、従事している。そして、そのほかにその何倍もの嘱託の調査員がおられるというふうにお聞きいたしました。上越市でつくる埋蔵文化財センターも少なくともこういう規模の研究体制を整えないと、それは単なる遺物の収蔵庫ということになってしまいはしないかと、こういうことが危惧されるわけでありますけれども、センターの建物だけではなくてそういう運営といいますか、体制というか、そういう構想をどういうふうに立てておられるのか、これもあわせてお考えをお示しいただければと思います。
 訴えの提起についての御答弁もいただきましたが、市長選挙の問題がどうもこの訴えの根底にあって、それが主要な問題であるかのように前段の小林林一議員への答弁や今ほどの答弁を聞いて感じたところであります。上越市が提訴するわけでありまして、市長選挙でその候補者の方にいろいろ何かがあったからということで、それを代弁して上越市が提訴するものではないんだろうなというのが私の心配事であります。
 もしその選挙戦の中でいろんな事件が起きて、それに行政なり議会なりがかかわりがあった場合に、すべてこういう形で上越市がかわって提訴をしていただけるのかな、どうなのかなと、そうはならないだろうと、あくまでもこれは上越市が上越市の名誉毀損をただすために、名誉を回復するために提訴するわけでありますから、そういう点からいいますと、市長選挙、来年は市会議員選挙がありますけれども、また総選挙も予定されているようでありますけれども、こういう選挙というのはある意味では私的な行為だと思うわけです。ですから、私はこの提案理由の中に公の上越市が提訴する提案説明の中にそういう私的な問題が含まれてくるというのは、これはいかがなものかというふうに思うわけですけれども、選挙の中身も私的なものではなくて、公の公的なものであるということであれば、そういう御答弁をいただければと思いますけれども、その辺どのようにお考えになっているのか、背景としてそういうものがいろいろあるというのは、これはわかる話です。しかし、それと上越市が提訴するということの説明とは直接は関係ない話ではないかということです。
 だから、そういう点では公私混同はするべきではないし、(「そうだよ」と呼ぶ者あり)そういう公私混同することが問題をより複雑にするんではないかというふうに思うわけです。その点で、今そのとおりだよというふうにおっしゃられておりますから、この文言はひょっとすると削除していただけるのかなというふうにも思いますが、そうじゃないとすると公私混同を進めようということにもなる……余計なことでありますからやめますが、改めて御答弁をいただきたいと思います。

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◎市長(宮越馨君) ジオラマの話でありますが、まず全体の話をちょっと御理解いただきたいと思いますが、まだ最終的に現時点ですから、きょうはどういうふうなことで埋蔵文化財センターをつくるかという検討委員会ではないんですから、そういうことについては今後に託すことなんです、これは。ですから、ここでサイズが2メーターか3メーターかとか、50分の1がどうだとかと言ったって、またもう一回全体のロケーションとか、また敷地の面積とかというところを、恐らく私もこういうことは必ず現場へ行ってやる主義にしていますから、いろんなところからおいでになっている方々、あるいは子供とかお年寄りとか、いろんな方々が史跡の学びに来られて納得いけるような、そういう形をつくるということが私の構想の基本的な考え方なんですね。ですから、サイズについては、仮に50分の1ということで考えた、全く検討してもらうにも審査していただくにも何もないというわけでは大変失礼でありますから。
 それから、問題は裏山遺跡だけの話じゃないんですよ。春日山城跡が中心なんですね、これは。春日山城跡と裏山遺跡は、これは弥生時代との中世との違いがあるかもしれませんが、あの辺一帯を御馬山も含めて全体を包含して再現しようということが私の先ほどの答弁なんですね。ですから、結果的に裏山遺跡がサイズ的にちょっと今のところ想定するのは、3メーターだって結構広いですよ、こんなものじゃないですよ、そこからそれぐらいあるんですからね。(笑声あり)高さだって2メーターってえらい高いですよ、2メーターといったら登れないですよ、普通小さい子供はね、直接2メーターでなくて、ずっとのり面がついてくるんですからね、のり面がついていって2メーターというと、これはかなりなもんですよ、これは。こんなでかい山、屋敷で庭につくっている人余りいないんじゃないですか。それぐらい割と大きいと思うんですよ、意外と。それが延びてくると、ずっとその辺に春日山城あるわけですよ、この辺に裏山遺跡があって、この辺に御馬山あるでしょう、こういう配置ですからね、やっぱりあのグラウンド今50分の1だっていっぱいぐらいになる可能性ありますよ、これは。
 そういうことは、ここで議論したってしようがないんですから、何時間、何日かかったって答え出ませんから、こういうところは委員会でまた追加していただいて、また担当の方が……教育長、大丈夫ですね、ということでお聞きください。また、最終的にどういう形で決めたということじゃないんですから、いろんな意見があるはずですよ、これは。だから、みんなの意見を聞いてやるのが私の主義ですから、一部の意見だけを聞いてやるというのは、私はそういうのは嫌いですからね。みんなの意見を聞いて、いろんな方がいるんですから、そういうことでやります、これは。
 それから、土地の減免のタイミングですけどね、私らも別に好きこのんでこのタイミングを選んだんじゃないんですよ。やっぱりやれるところはとにかく、少しでも税金を余計に使ってやらない方法を、私どもの立場からすればだよ、私どもは求めようとする立場ですから、また今度市民から寄附したものをそれに対してどうするかという話は、またこれは別な話ですよ、これは。だけど、条例とかそういう基準があるならば、その基準に従って当然やりますが、この経過というのはやっぱりあるんですよ。だから、土地開発公社あるいは一般会計どうするかということがあって、それぞれのやり方が違うんですよ。それから、県も要するに法律が、あるいは基準が、規則があればみんな国民が知ってきちっとやっているかといったらそうじゃないわね。うっかりするということもあるわけですよ。
 例えば今回だってね、商工労働部の方はいいと言ったと、しかし財政課の方は金がないからだめだということで、こういう話もあったわけですよ。こんなことは、もしおかしいと言ったら県に文句言ってください。窓口ごとに意見が変わってくるんだな、同じ条例でも。これこそ我々迷惑だよね。だから、手間かかっちゃって、「安・近・短」行政どころじゃないわな。ちょっと調子づいたような言い方になっておりますけど、本当に私はそう思うんですよ。やっぱり「安・近・短」行政やってもらわんきゃ困るんですよ。だから、県の窓口へ行ったら、その基準があるということがわかれば、みんな知ってて、すぐにぴたっとこれでわかるようなことやってもらいたいんだけど、しかしやっぱりいかんせん人間の能力にも限界ありますよ。いや、知らなかったとか、あるいは勉強したらわかったと、これが世の中の常じゃないですか。だから、そういうことでしゃくし定規にきちきちっと物差しではかったような仕事ができることを期待はするけど、できないというのが現状じゃないですか。だから、この部へ行ったらいいと言ったけど、こっちはだめだったと、じゃどっちが正しいんだということで、結局ああだこうだ、ああだこうだ言って半年も1年もおくれちゃうことがよくありますよね、今回その例ですよ、これは。だから、私にとっても怒り心頭ですよ、これは。だから、そういうことが実はあっておくれたんですよ、ある意味では。だけど、結果的にこれ30年たったものについて30%でしょう、40年たったら2割になっちゃうから、ちょうどぎりぎりなんですよ、これね。これ10年間ですよ。だから、私が10年前に市長になっていたらまた話は違うし、またテクノスクールが最近ですからね、動いたのが、この10年の間に動いたんですから。割引率が私どもが事務的なことを怠って損失したということはないんですから、むしろ24日過ぎちゃうと、今度また皆さん方から、何だ市長、おまえさぼったじゃないかということで批判されるんですね、これは。だから、ぎりぎりのところで、とにかく決断して臨時議会まで開いてやらざるを得ないという決断をしたわけですよ。だから、普通だったら12月議会でいいじゃないかという気持ちあるのかもしれませんが、そのときは何千万も損することになっちゃうんですよ。だから、臨時議会をきょうお願いしたわけですね、これは。
 ですから、そういういろんな絡みがあって、私どもは何もさぼって、何もずぼらしたというんじゃないんですよ、これは。ですから、これは委員会でそういう話をまた事務的に聞いてください、そのお答え申し上げます。
 それから、遺物の問題がどうのこうのという話、これは、こういったものは今後の問題ですよ、これは。だから、いいものをつくれば、じゃそれはそこに置くのが県民のためにいいと判断すれば、県はそうするでしょう、恐らく。それは、交渉事ですよ、決まったとおりまたやるという話でもないわね。ですから、それは御心配ないように私は努力はしますよ、これは。しかし、人の物を強引にまた持ってくると、それは犯罪になりますからそういうことできませんよね。やっている人もいますけどね。
 それから、全体的なことについて、例えば監物堀の話をされていましたが、確かにあのテクノスクールの跡地は遺跡かもしれませんね。ですから、これは必ずこういう場合は発掘するんですよ。だから、私は今のところ聞いているのは、あそこは入っていないだろうというふうに聞いております……入ってませんよね、あれね、対象に。ですから、そこはまた確認しますよ、当然。これは、建物をつくるとき必ずそういうらしいところについては発掘することになっているんです。これは御心配要りません。もしそういうこと出れば、何かミュージアムの話で大事な遺跡壊したという話でありますが、これはまたそこはそういうふうに検証して、どうするかということは当然それは手続的に個々に判断して進めることになると、こう御理解をいただきたいと思います。
 それでよかったですかね、もう漏れはないですかね。何回もやっているんで。もし何か漏れたらまた言ってください。

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◆1番(杉本敏宏君) どういうスタッフ……

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◎市長(宮越馨君) そのスタッフ、新津の埋蔵センターの話をおっしゃいましたが、これは今後の問題ですよね。今後の問題で、一応今回はそういう構想をお示しして、あとは管理運営をどうするか、あるいはスペース、あるいは財政的な問題等々総合的に勘案して、例えば埋文センターだけ考えた場合は、そんなにでかい建物はできないんですよ。ですから、そこには史跡研究をするゾーンとか、あるいは生涯学習機能というのは、これは持ち出しですよ、これは。これは、私どもが単独でやっていかなきゃならない問題でありますね。ですから、今言った総合的な構想と言えば、そういうものを付加して立体的にあそこを使っていこうという、こういう構想をお示しするわけであります。資料はまだ行ってないかもしれませんが、そいうことです。ですから、結果的にほかの機能がどういうふうに設置されるかによって管理体制が、運営体制が要員がどうなるかということが決まってきますから、今は何人とかという話は申し上げられない段階であります。
 しかし、上越地方の最大の埋文センターということになるわけでありますから、合併とかという話までどうのこうのということになると、ちょっとこれはなかなか決断しにくいところでありますから、それはそれとして今後またいろんな大事な遺跡が発掘したり、あるいはまたどこかから収蔵を委託されないとも限りませんから、こういったことについては施設をつくるときは割と大き目にゆとりを持ってつくるのが私の施設のつくり方の鉄則にしていますから、そういう御心配ないように対応したいと思います。
 それから、市長選がという話をおっしゃいましたけど、これは直接的には当然市民の、あるいは上越市の名誉回復のためにやるんです。だけど、なぜこうなったかということを皆様方に、市民の方々に説明申し上げないとなかなかこれはわかりにくいところですよ、これは。ですから、私は申し上げたんですよ。だから、直接被害を受けたのはその報道自身なんですよ。だから、直接的なことで私どもは訴えるんですよ。だから、間接的な、背景的なことについても必要あらば今後私も訴える場合も出てきますし、あるいは広域行政組合としても訴えることが出てきますし、いろんな場面で展開をしていくということは、これは当たり前ですよ。ですから、今直接的にバーンとやられた、そこに対して名誉回復と毀損と損害賠償と、それから謝罪広告、そういうことをやれというのは、これはごく常道ですよ、これ常道。後からどうなるかということ、これは事態の進展いかんにかかわってまいりますから、ですからなぜこうなったかという背景を説明しなければ市民はわかりにくいということで終わっちゃうんですね。ですから、私はるる、本当はもっと時間あれば幾らでもしゃべれるぐらい、1日でも足りないぐらいそういう背景があることだけは申し上げて御理解をいただきたいと思います。