1997年6月議会

一般質問議事録

1.裏山遺跡を初めとする遺跡の保存について
最初の質問
最初の答弁
再質問
再答弁

【杉本敏宏】
 私は、さきに通告してあります3点について、一般質問をさせていただきます。

 第1の質問は、裏山遺跡を初めとする遺跡の保存についてであります。
 裏山遺跡を守る会の会員など多くの市民を初め、市内の歴史研究者、県内及び全国の考古学者や考古学会が、高地性集落としては大変貴重な地位を占める裏山遺跡の保存を訴えて運動を進めてきました。そうした中、去る3月議会では、全議員の賛同をいただきまして、文化庁などに対し保存を要請する意見書を採択していただきました。私も裏山遺跡を守る会の一員として御礼申し上げる次第であります。
 ところで、5月の12日、上越市と道路公団の記者会見が行われ、遺跡破壊の合意が発表されました。その合意を合図として、翌13日朝8時から、抗議に駆けつけた裏山遺跡を守る会の会員の目の前で、ブルドーザーやユンボなどによって裏山遺跡の主要部分は破壊されてしまいました。18日までは部分的にも残っていましたけれども、その後完全に消し去られてしまったのであります。
 先日、諫早湾の水門が閉められ、干拓が強行されましたけれども、多くの地域住民の反対を押し切って計画を強行していくという、こういう今の政治のあり方、ここに裏山遺跡破壊との共通性が見られるのではないかと思うわけであります。ここに至る過程は、既に公表されておりますので省略し、まず最初にこの貴重な裏山遺跡が破壊し尽くされてしまったことについての市長の見解をお聞きしたいと思います。

 今、景観修景について、歴史の偽造ではないかとする議論が起きております。例えば春日山城を壊して別のところに再建したところで、これは春日山城としての意味を持たないのと同じであります。裏山遺跡は、あの場所にあの高さのところにあってこそ意味があるのであって、ボックスカルバートの上では高地性集落というのは、あんな低いところに、それも丘のくぼ地にあったのかというような誤解を後の世代に与えてしまうことになるのではないでしょうか。ボックスカルバートの提案、景観修景というのは、遺跡の価値を全く理解していないことからくる発想ではないのか、市長にこの点での見解をお聞きしたいと思います。

 さて、市長は裏山遺跡を守る会との話し合いの中などで資料館の建設に言及され、職業訓練校跡地の活用なども示唆されてまいりました。埋蔵文化財センターの設置を国、県に働きかけているとも報道されています。私ども日本共産党は、このような施設、これは絶対に必要であると考えております。こういう施設が現在どのように進展しているのか、進展ぐあいをお話しいただきたいと思います。
 裏山遺跡からは、おびただしい量の遺物が発掘されました。その一部は、去る5月18日の裏山遺跡を守る会の集会で公開されました。しかし、この遺物は新潟県埋蔵文化財調査事業団の所有と聞いております。資料館などに裏山遺跡出土の遺物を展示するとなれば、事業団からこれを譲り受けなければなりません。そのような譲り受けの交渉が行われているのかどうか、もし行われていればどの程度進んでいるのか、明らかにしていただきと思います。

 裏山遺跡は、破壊されてしまいましたけれども、このことを上越市の文化行政の教訓としなければなりません。裏山から南に向かって現在でも道路工事が進められておりますが、それに伴って遺跡の発掘も進められております。これらもすべて発掘の後には破壊され、壊されてしまう記録保存のための調査と言われておりますけれども、しかし裏山遺跡のように発掘した結果、全国的な意義を持つ遺跡と評価されるものが出てこないとも限りません。それほど歴史の宝庫というふうに言われている場所であります。そうしたときに、裏山遺跡と同様に壊してしまうのかどうか、市長の考えをお聞かせいただきたいと思います。

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【宮越市長】
 順を追ってお答え申し上げます。

 初めに、裏山遺跡破壊に対する私の見解というんでありますが、私自身は破壊とかという言葉自身は余り好まない言葉であります。
 御案内のように、裏山遺跡が弥生時代の戦乱、倭国大乱の東国への波及を物語る貴重な遺跡として市民を初め多くの皆さんから保存の声が寄せられ、市としましても市議会の皆さんと連携をとりながら、文化庁には裏山遺跡の国史跡指定を、建設省や日本道路公団にはトンネル工法による遺跡の現状保存を強く求めてきたわけであります。しかし、国の史跡指定は困難であるとの意向が示され、またトンネルにした場合には高速車両が分流、合流をする際の安全確保が困難であることもわかりました。そのため、市としては次善の策として、道路公団にボックスカルバート工法などによる春日山城に連なる山並み景観の確保を提案してまいりました。その結果につきましては、去る5月12日、私と道路公団上越工事事務所の所長とが記者会見を行って、道路公団と新潟県土木部及び上越市の三者が遺跡の再現と山並み景観の確保について、その方法や費用負担などを協議することで合意が成立したわけであります。そのとき私は、遺跡の破壊について合意ということで合意したわけではありませんから、言葉遣いには注意をしてほしいと思います。その旨、広く市民の皆さんにお知らせしたとおりであります。また、市議会の皆さんにも、5月23日の全員協議会で、この間の経緯を御報告申し上げたところであります。

 裏山遺跡が上越市にとってかけがえのない貴重な遺跡であればこそ、市民の皆さんと議会、そして市が協力して関係各機関にその保存を強く求めてきたものであり、現状保存を断念せざるを得ない状況に至った時点での遺跡の現地公開等の配慮も望まれていた中で、5月13日早朝からの工事着工は私にとっても全く予期せぬ出来事でありました。前日の12日に合意形成、合意成立の会見を行ったとはいえ、市民感情に配慮を欠いた、余りにも唐突な行動ではなかったかと、こう感じておるところであります。昨年8月31日の県埋蔵文化財調査事業団の現地説明会以後、公開される機会を得ないままに消滅のやむなしに至った裏山遺跡の保存運動の教訓を、今後の埋蔵文化財行政に十分に生かしていかなきゃならないと考えているところであります。

 ちなみに、私は現地説明会について、もう一度ぐらいということを素直な気持ちで思っておったところで、その辺のところはどうなっていたんですかと尋ねたところ、昨年の8月31日でおおむね発掘が終了したという、そういう判断がされていたそうであります。そして、昨年年内中にすべての作業は終わる見通しでやっていったところ、いろんな作業がおくれて年がまたがってきたということで、8月31日の時間が相当あいたということが、もう一回そういうチャンスがあるのかなというふうに思ったわけでありますが、実は聞くところによりますと、8月31日が事実上もう発掘終了という時点で、早く終結しようという考えがあったそうであります。ですから、我々の一方的な考え方ではなく、事業団等の考え方あるいは県の考え方を聞いたところ、実質的には8月、要するに9月、あのころにすべて作業は終了という時期をとらえて公開にしたという話を承ったことを御披露させていただきます。といって、皆さん方が思われている感情とはまた別な話であります。私も、実はそう思っていたわけでありますから。

 次に、発掘された遺物の譲り受けと活用についてであります。
 裏山遺跡からは、収納箱約300箱にも及ぶ遺物が出土しております。この中には土器類、といし、まがたま、ひすいの原石などにまじって、当時東日本ではほとんど流通していなかった鉄製品も含まれているのであります。高速道路建設工事の発掘調査に限らず、出土した遺物については調査終了後には散逸を防ぎ、また公開等の活用を図るため、発掘調査の主体となった自治体の教育委員会で保管することが通例となっておるわけであります。したがいまして、上信越自動車道の建設工事に伴って行われた発掘調査の出土遺物については、調査主体である新潟県教育委員会が保管し、活用を図っていくこととなるものであります。しかしながら、新潟県教育委員会において裏山遺跡の出土遺物を保管した場合、県内各地で出土した膨大な量の遺物とともに保管されることとなり、また公開に当たっても、県内の多くの弥生遺跡の出土品の一部として公開されることとなるため、上越市民の財産である裏山遺跡の遺物を十分に生かし切れない状況となることも考えられます。

 こうした中で、私は裏山遺跡から出土した遺物は発掘された上越市にあってこそ十分な活用が図られ、学習にも役立つものと考えているところであります。そのため新潟県教育委員会に対し、上越市で保管ができないか内々に打診を行ってきました。その結果、環境が整えば上越市に対し遺物を譲渡することも可能である旨の回答を得ております。
 上越市は、長い歴史に培われてきたまちであり、上越地方の生い立ちや歴史を知る上で貴重な遺物が各種公共事業や区画整理事業などに伴って市内各所から数多く発掘されております。あわせて、市教育委員会が主体となって発掘調査を行っている遺物も増大しております。
 また、県教育委員会が保管する上越市内の他の遺跡からの出土品も、裏山遺跡を語る上で当然必要となってまいります。これらの遺物を包括的に管理するとともに、埋蔵文化財を調査研究し、市民も学習をすることができる市立埋蔵文化財センターの設立に向けて、文化庁や県教育委員会に働きかけを現在行っているところであります。今後は多くの皆さんの御意見を伺いながら、文化財の中核施設として活用が図られる施設の設立を目指してまいりたいと考えております。

 さて、次に今後発掘される上信越自動車道沿線の遺跡の保存についてでありますが、今年度市内では6カ所で調査が行われていると聞いております。しかし、現段階では調査も緒についたばかりであり、今後の成果が待たれるところであります。
 私がこれまで再三指摘してまいりましたように、裏山遺跡の場合は県教育委員会並びに埋蔵文化財調査事業団からの情報が余りに乏しかったため、遺跡保存の方法を検討する時間が制約されたのも事実であります。このようなことから、私は重要な遺跡が発見された場合に、地元自治体の首長が意見を述べることができるよう文化財保護委員会、現在の文化庁でありますが、と日本道路公団が昭和42年に取り交わした覚書を改めるよう、既に文化庁にも要望しておりますし、改定には時間がかかるとしても、県教育委員会と上越市の個別協議が可能であることもわかりましたので、早速今年度から県に対し遺跡の発掘調査に伴う早期の情報開示を行うよう要請いたしたところであります。
 上信越自動車道の建設工事に伴う発掘調査の実施は記録保存を前提として行われておりますが、今回の裏山遺跡に関する一連の経過を教訓として、常に的確な情報により誤りなき判断及び対応ができるよう努めるとともに、広く市民の皆さんの声を伺い、開発と保存の接点を探りながら、貴重な文化財を後世に伝えていくための努力をしたいと、こう考えておるところであります。

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【杉本敏宏】
 再質問をさせていただきますが、私20分ぐらいしかしゃべらなかったんですが、大変長い答弁をいただきまして、残り時間がわずかになってしまいました。

 資料の公開についてのお答えがなかったんですが、それはもう一度答えていただくことにしまして、裏山遺跡の問題なんですけれども、3月議会の一般質問で私が質問いたしまして、その答えの中で市長は、このルート上にそういう構造物をつくるというときの技術的な面あるいは交通工学上の問題について、「しっかりとした考えを書面をもって回答してほしいと、こういうふうに今私は求めている最中であります」と述べておられます。議員の皆さんもお聞きだと思いますが、3月31日の全員協議会でも同様のことを市長は言っておられました。また、私も同席した裏山遺跡を守る会との話し合いの席でも、このことをはっきりと明言されて、「この回答を見て納得がいかない限りオーケーしないんだ」というような内容のことも言っておられました。そして、さらに「この道路公団からの書面での回答があったときには、守る会にも公開をしてほしい」という要望に対して、「公開をする」というふうにも発言されておられました。
 それで、先ほどの改ざんの資料の公開とも関連するんですけれども、公にこうやって公開するというふうに約束をされたことについて、市長がどのように考えておられるのか、これは重要な問題だと思うのであります。
 それで5月12日、合意発表があったわけでありますけれども、市長が言われていた書面での回答あったのでしょうか。そこには、トンネル工法の科学的、技術的な困難性を市民が得られるようなことが書かれていたんだろうと思うんですけれども、どのように書かれていたのか、これをぜひこの場で公開していただきたい。できればその文書を約束されたように、守る会の方にもお渡しいただきたい、このようにお願いする次第であります。
 昨今、公約を平気で破る政治家が多く、政治不振の原因になっております。そうした中で、市議会の本会議の場で発言し、また全員協議会でも発言をしたそういう約束事、これに対して市長としてどうされるのか、まさに市長の政治姿勢の問題だと思うわけであります。大変重要であると考えますが、この点での市長の考えをお伺いしたいと思います。

 裏山遺跡の出土品たくさんありますけれども、それを譲り受ける交渉も進んでいるようであります。そういう答弁をいただきました。それで、それじゃどういう展示施設求められているんだろうかということでありますが、研究者の方々とお話をしております中でいろいろ出されております。単なる資料の陳列場ではなくて、例えば野尻湖のところにありますナウマン象を中心とした野尻湖博物館、あるいは糸魚川にありますフォッサマグナ・ミュージアム、こういう施設がイメージとして挙げられているわけであります。簡単に言いますと、単に物が並んでいるだけではなくて、施設の並んでいるものの説明をできる説明員がいて、そういうことが第1の条件でありますし、またこの施設が上越地域の埋蔵文化財の調査研究のセンターになれるような研究機関としての役割を持った、そういう施設をつくってもらえないだろうか、こういうことも言われております。こういう施設がこの上越にないということが、今回の裏山遺跡の破壊に至る大きな要因の一つではなかったんだろうかというふうにも思うわけであります。

 現在、まだ6カ所ほどの発掘がされているという答弁がありました。これも研究者の方からお聞きした話でありますけれども、通常発掘が始まると1カ月に1回程度の発掘調査報告会というのが催されるそうであります。ところが、裏山遺跡の場合には、8月の31日までには何もありませんでしたし、その後もありません。それから……。

 もう終わりますから。

 そういう今の6カ所についても、発掘が始まったらそういう報告会を催されるように、やっぱり申し入れていただく必要があるんではないかというふうに思うわけです。
 そういうふうな上越市の貴重な遺跡、これからもどんどん出てくる可能性があるわけですが、そういうものの保存について再度幾つか質問いたしましたが、ぜひとも回答いただきたいと思います。

 本来は、もう少し時間があれば別の問題でも質問する予定でありましたけれども、前段で長い答弁がありましたので、残念ながらできないので、これで終わります。

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【宮越市長】
 では、今後答弁は短くするようにいたします。長いのは困るということであるようでありますから。

 それから、遺跡の問題については、これは公団の回答には技術的ないろんな困難性について具体的にという話で迫っていたわけでありますが、これは残念ながら回答はいただいておりません。そこで、暗礁に乗り上がったということで、これは相手のあることでありますから、私が幾ら約束してもそのとおりにならない場合もあるのが一般論として当然で、当然というわけではありませんが、そういう状態でありました。

 それから、遺物の展示方式については、これはいろんな方法があると思いますから、これから皆さん方の御意見を聞きながら、このセンターが仮につくるとき、これもまた借金をしなきゃならんということでありますから、そのときは特別枠としてお認めいただきたいわけでありますが、そういうことでこれは市民の皆さんが納得できるような形を、またこれも相手がある話で、とにかく建設に向けてそのような形で進めていきたいと、このように思います。

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