1997年3月議会

一般質問議事録

1.裏山遺跡の保存について
最初の質問
最初の答弁
再質問
再答弁

【杉本敏宏】
 おはようございます。私は、さきに通告してあります次の2点について質問をいたします。
 一つは、裏山遺跡の保存について。二つ目は、重油被害の費用補てんについてであります。以下、順を追って質問いたしますので、よろしくお願いいたします。

 まず、裏山遺跡の保存についてであります。市長は、12月議会での樋口議員の一般質問に対する回答の中で、「文化遺跡を大事にしたいという気持ちは、私は人一倍強いというふうに思っております。ですから、私はあれは保存したいなということを実は思っているんです。個人的にも、また市長という立場としてもこれは保存したいな」と、このように市長は文化遺跡を保存したいということを大変強調しておりますが、その一方で保存の技術的な困難性などを挙げているわけです。
 また、9月議会での藤塚議員の一般質問に対して、「遺跡の取り扱いについては、私といたしましても発掘調査の終了する機会をとらえて、議会の皆さんや専門家の御意見を県及び道路公団に伝えてまいりたいと考えております」と答えられ、12月議会での樋口議員の一般質問に対しても次のように答えておられます。「しかし、そうは言ってもこれは可能なことであるかないかということを最後のぎりぎりまでこれは研究をし続けて、最終判断が下されるところまでは頑張っていきたいなという気持ちはあります」。こういう市長の前向きな発言を受けて、裏山遺跡を守る会や県考古学会の方々は、まさに可能なことがあるかないかということを最後のぎりぎりまで模索、研究してこられました。その一端が、去る2月22日のシンポジウムに結実したことは御承知のことと思います。また、6日の文教経済委員会で、上越市裏山遺跡の保存と活用に関する請願が全員一致で本会議で可決すべきものと決定された後、市長は直ちに道路公団に対しボーリング調査などの中断を要請されたとも聞いております。こうした経過を踏まえつつ、改めて幾つかの点について質問いたします。

 まず、裏山遺跡の重要性をどのように認識しているかということです。裏山遺跡の意義については、既に県考古学会、裏山遺跡を守る会の申し入れ書や要望書で詳しく述べられておりますし、2月22日のシンポジウムでもその重要性が強調されておりますので、ここでは繰り返すことはいたしません。62名の研究者が名を連ね、高地性集落にかかわりのある有力な研究者のほぼ全員が加わったもので、学会においても異例のことと言われる上越市裏山遺跡の保存に関する要望書が2月の17日、文化庁長官や宮越市長のところにも提出されたと思います。ここでは、この賛同者の方々から寄せられたコメントの幾つかを紹介させていただきます。
 広島大学文学部助教授の河瀬さんのコメントですが、「遺跡の規模や評価について、自治体はなぜ簡単に結論を出すのでしょうか、疑問です。少しの設計変更で残せるものでも壊そうとするのは金の問題ではなく、心の問題です」。こうおっしゃっております。
 「21世紀の人々の暮らしの指針を見出すためにも、過去の人々の生活遺跡を保存することは当然の義務です」。これは、大阪府の弥生文化博物館長、金関さんの言葉です。
 「いまだ規模だとか類例などという次元で済まされる論理には腹が立ちます。近くに春日山城もあり、この地域社会が動乱期に歴史的な重要なダイナミズムを担っていたという気がします。ぎりぎりの保存策を模索すべきです」。これは、シルクロード研究センターの寺澤さんという方のコメントです。
 さらに、大阪大学文学部助教授の福永さんという方は、「斐太遺跡群の高地性集落とセットでとらえて初めて国家形成期の列島規模での歴史展開の中に、この地域の歴史を正しく位置づけることができると思います」と言っておられますし、「発掘すれば、遺跡は破壊という風潮に歯どめをかけるにふさわしい遺跡だと思います」というものは、間壁さん、倉敷考古館の館長さんの言葉であります。
 このように識者はもちろん、私のような素人までもが裏山遺跡の重要な意義を市民の皆さん方に訴えてまいりました。この間の上越市の裏山遺跡に対する評価は、文化行政をやる気があるのかと疑われるほど後ろ向きのものだったのではないでしょうか。
 9月議会での藤塚議員の一般質問に対する市長の答えは、「裏山遺跡単独の評価は、数少ない弥生時代の遺跡として上越地方の歴史を知る好材料ではありますが、全国的な視野においては地域資料という枠から突出するものではないという意見があるのもまた事実であります」。こういう意見があるという紹介という形ですけれども、地域的な資料で特段重要ではないというような内容の発言でありました。
 12月6日の文教経済委員会の協議会に提出された「裏山遺跡について」という文書の中には、次のような評価がトップに掲げられておりました。「裏山遺跡の評価。埋蔵文化財としての一般的な価値判断、高地性集落は全国的にも、県内でも特段珍しい発見ではない。県内では、蒲原平野の周辺丘陵地帯に散見され、高田平野も斐太遺跡に続いて裏山遺跡が発見されたことにより、今後も類例が増加する可能性が高い」。このように、裏山遺跡の価値を特段珍しい発見ではないという見解が示されていたわけであります。
 この見解に対して、裏山遺跡を守る会などが市教育長に対して、12月20日付で公開質問状を提出しております。それから1カ月かかってつくられたこの公開質問状に対する1月20日付の回答は、「特段珍しくないという意味は、裏山遺跡を高地性集落として一般的にとらえた場合であって、貴重な遺跡であるとの認識には貴会と相違ない」と述べております。少し変わってまいりました。しかし、「裏山遺跡は高地性集落として一般的にとらえた場合であっても貴重な遺跡だ」というのが多くの研究者の見解であります。今議会6日の文教経済委員会で請願審議の際に、教育長から初めて「遺跡は貴重、残せるものなら残したい」との見解が示されました。教育委員会は、市長部局とは独立した行政機関でありますので、改めて裏山遺跡の重要性をどのように認識しておられるのか、市長の見解を承りたいと思います。

 次に、地質工学、交通工学の専門家の現地調査結果は、学術上の批判にたえ得るかということであります。12月6日の文教経済委員協議会に提出されたさきの裏山遺跡についての説明では、上越市としての独自調査として、11月22日、交通工学の専門家による現地調査、11月30日、地質工学の専門家による現地調査が行われたとしています。前者は、長岡技術科学大学の松本教授、後者は長岡工専の小川校長の調査ということでしたが、その調査結果そのものは示されませんでした。上越市にも優秀な地質学の研究者の方々がおられます。なぜこれらの方に調査を依頼せず長岡なのか、この問題に限らず、調査設計、策定などもっと地元の力を活用すべきではないでしょうか。
 12月議会での樋口議員の一般質問への市長の答弁は、この調査結果をうのみにしたものではなかったでしょうか。すなわち、その結果、この地質工学上の観点では、当地域には過去に地すべりが発生したと思われる地形が見られ、地山自体が必ずしも安定しているとは言いがたく、今後も土砂崩れの発生が懸念されるなど、現状保存をするためのトンネル工法の採用には否定的な見解が示されました。また、仮にトンネル工法を採用した場合は、トンネル近傍での路線の分合流という特殊要因から、交通工学上では交通事故の発生率が大きくなり、万一トンネル内で事故が発生した場合には重大事故になる可能性が高いことが指摘されました。さらに、遺跡を保存するため斜面を保護しようとすれば、環濠が失われてしまう可能性が高いこと、急傾斜地上に位置する遺跡であることから、見学者の滑落危険防止対策等さまざまな保存技術上の問題を抱えることがわかりましたというのが、その答弁でありました。
 私は、12月26日に文化庁に保存の要請に出向くに当たって、教育長に対して資料要求をいたしましたけれども、いただいたのは「上越JCTの分合流付近をトンネル構造に変更した場合の問題点」というメモ書き風のものだけでした。地質調査に至っては、文書による報告書はなく、口頭による報告だったということでした。このような調査結果で、保存は不可能という結論が出されていたのでしょうか。もしそうだとすれば恐ろしいことです。調査結果をきちんと文書にまとめて報告するというのは、研究者にとっては当然のことです。自分の見解をみずからの責任で明らかにする。他の研究者が検討し、同意あるいは反論することを可能にし、そのことをもって自分の見解の正当性を確認していくものだからです。これができないということは、そもそも研究者としての資格にもかかわる問題であります。公にできないような見解をもとに判断したとすれば、これはこれで重大問題であります。
 最初にも述べましたが、「裏山遺跡を守る会や県考古学会の方々は、まさに可能なことがあるかないかということを最後のぎりぎりまで模索、研究してこられました。その姿勢には本当に頭が下がります。地質工学上の観点では、当地域には過去に地すべりが発生したと思われる地形が見られ、地山自体が必ずしも安定しているとはいいがたく、今後も土砂崩れの発生が懸念される」とのさきの引用しました市長の答弁でありますけれども、これに対して地すべりと土砂崩れというのは異なる概念だというふうに聞いておりますけれども、それはさておいて、現在の計画のように切り通しにした場合、逆に地すべりを誘発するのではないかということが指摘されております。その概略を紹介させていただきますが、「上越市の西部丘陵地帯から西頸城地方には、広く能生谷層という地層が分布しており、この地層が地すべりの原因になっている。裏山近辺の能生谷層は、西から東に向けて約30度傾いている。裏山遺跡が乗っている尾根がちょうどその西の山の突っかい棒のようになっている。これを切り取ってしまうことになると、西側から滑ってくる可能性が多い」。切り通しにしたことによって、地すべりが高速道路を襲う可能性が高いという指摘であります。行政の方向を決める重要な調査は、今紹介いたしましたように根拠を明示した調査によって判断するのが当然ではないでしょうか。地質調査の口頭での報告というのは、そういう点からすれば全く論外ですが、交通工学の調査メモについてもその根拠となるものは何も示されておりません。地質工学、交通工学の専門家の現地調査結果は、学術上の批判にたえ得るのか、市長のお答えをいただきたいと思います。

 ところで、私はこの問題を通じて大きな懸念を持つようになりました。それは、上越市のさまざまな施策が今述べたような根拠を示すことができないような調査結果をもとにもしも決められているのだとすれば、これは大変なことだと思うわけであります。これが杞憂であればよいと思っております。

 さて、遺跡を残すためには、遺跡の下にトンネルを掘らなければなりません。これがつくれないというのがこれまでの見解でした。それでは、本当にトンネルはつくれないのかというのが最後の問題です。この問題では、裏山遺跡を守る会や県考古学会の方々は、まさに可能なことがあるかないかということを最後のぎりぎりまで模索、研究してこられました。市長は、12月議会で「急峻ですから、それを仮に保護するとき擁壁をつくらなきゃならんですね。しかも下に1日何万台も通る道路の上ですから、それこそ何か石とか落下物があってはならないわけですから、その管理をするのに大変なこれは仕掛けが要ります」と言われております。しかし、裏山遺跡がある丘を南北に切った断面、道路に沿った断面でありますけれども、この断面を見ますと、平均斜度は約30度、そして環濠からトンネルを掘ったとした場合ですが、トンネルの出口まではそれぞれ約50メートルあります。これに比べ、切り通しにした場合でありますけれども、切り通しの側壁は平均斜度が45度、水平距離は約30メートルです。45度の傾斜の切り通しをつくって安全にすることができるわけですから、30度の斜面の工作をするのはより容易に行えるのではないかと思います。これは、素人の考えでしょうか。現地を視察されてあの斜面を見て、あれで30度かと思われた方もおありでしょう。しかし、例えばスキー場へ行ってみてもらうとわかると思いますが、平均斜度30度というのは、まさに転げ落ちるかのように見える斜面であります。ちょうど裏山遺跡のあの斜面が平均30度というのは、実感としてもおわかりいただけるのではないだろうかと思います。
 トンネルの工法には、山岳工法と都市工法とがあると言われています。違っていれば御指摘いただきたいと思いますが、山岳工法では通常上り線と下り線と二つのトンネルを掘削するといいます。しかし、上り線と下り線を大きな一つのトンネルにし、中央分離帯を設けるという方法もあるのではないでしょうか。トンネルの長さは100メートル程度ですから、大きなトンネルにすればトンネルの出口まで見通せるようになります。また、都市工法では、パイプを圧入していく方法もあるといいます。残そうという立場に立てば、もっとよい知恵が出てくるのではないでしょうか。トンネルは、本当につくれないのかお答えをいただきたいと思います。

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【宮越市長】
 お答え申し上げます。
 まず1点目の裏山遺跡の問題でありますが、これは弥生時代の数少ない貴重な遺跡が我が上越市で発見、発掘されたわけでありまして、その第一報を聞きまして、私も我が国の歴史上あるいはまた国が生成されてくる過程のいわば一番激動期であったと言われる倭国大乱、あるいはまた大和朝廷ができるその前後の弥生時代の時代をほうふつと思い起こせるようなそういう感じがいたしまして、これは大変貴重な史跡が発見されたなということで、望外の喜びを覚えた一人でありまして、もしこれは高速道路のルート上になければ、これは有無を言わせず保存しなきゃならないという、これはだれもが市民例外なく恐らくそう思ったんではないかなと、こう私は思っております。したがって、裏山遺跡そのものに対しては、そのような認識でその重要性をしっかりと私は認識しているつもりであります。であるがゆえに、今は大変苦渋の選択というか、保存かあるいは保存ができない場合の諸問題等々のあり方について難儀していることをまずもって申し上げておきたいと思います。

 この上信越自動車道の工事施工に伴って、昨年5月から12月までの期間に記録保存のための調査が実施されたということは既に御案内のとおりと思いますが、私は記録保存を前提にということも、実はこれはどうかなという感じも正直思っています。記録保存というのは、御案内のとおり記録してそれを破壊するあるいはまたもとへ埋め戻すという、そういうことでそこには目で確認できなくなってしまうという、そういうことが記録保存ということでありますから、記録保存ということは原形を残して一般の市民とか多くの方々に展示するという、そういうことではないということでもあるわけでありますから、これを前提にするかどうかということも大変重要なことだと私は思ってみてきております。そして、これは今お話にありましたように新井市の斐太遺跡群と同じ高地性集落として注目されているわけでありまして、専門家の間で言われておりますことは、裏山遺跡などの高地性集落は戦闘に備えた防衛集落と考えられており、遺跡の発見された地点を見ましても上越地方一帯を眺望できる非常にすばらしいよい丘陵であって、防衛集落にふさわしい地形でもあり、斜面の周辺を環濠と言われる溝をめぐらして、上りにくくしていることなどからそのことがうかがえると思っております。弥生時代の戦乱が、九州、近畿地方から遠く離れた当地方にも及び、上越市の歴史を知る上で大変貴重な遺跡であると言われておりますことも私も十分承知しておりまして、今申し上げたようにこの遺跡の重要性についてはそのような認識をしております。また、最近弥生時代にかかわる全国的な発掘の報道がされておりまして、そういう報道があるたびに裏山遺跡のことにまた心を痛めるという、そういうことを昨今の気持ちの動きでもあります。

 御質問の地質工学とかあるいは交通工学の専門家の現地調査結果は、学術上の批判にたえ得るかどうかということと、トンネルは本当につくれないかとのお尋ねは関係ありますので、一緒にお答え申し上げますが、裏山遺跡の保存について、その手法としてトンネル構造での工事の可能性を探るため、私どもとしてお二人の専門家に現地調査を依頼したわけであります。これは、以前申し上げたわけでありますが、もう一度申し上げますが、地質工学の観点からは、現在地すべり学会新潟支部長である長岡工業高等専門学校の小川正二校長先生にお願いしたところでありますが、小川先生は北陸自動車道建設時に土質工学の立場から指導されたと伺っております。裏山遺跡周辺にも何度か足を運ばれ、その地質、地形に精通されていると伺っているところでございます。この先生の調査では、当地域には過去に地すべりが発生したと思われる地形が見られ、また地下水の量も多いので、地山自体が必ずしも安定しているとは言いがたく、現に昨年11月4日にもかなりの規模で地すべりが発生して、今後も大規模な土塊の移動が考えられることから、トンネルは危険性が大きいとの見解でありました。

 また、交通工学の観点からは、長岡技術科学大学の松本昌二教授にお願いいたしましたが、松本教授は日本土木学会交通工学研究会などに所属されて、インターチェンジに関する著書など交通工学の分野で活躍されていると聞いています。先生の調査では、ジャンクション前後に近接してトンネルがあると、必要以上にドライバーに心理的、精神的圧迫を与えるため、交通安全上好ましくないとの見解でありました。すなわち、分合流部は単路部と比較して3割程度あるいはそれ以上に事故率が高くなり、その上トンネル区間は見通し距離が短くなることから、事故率がさらに高くなるものと推測されておられます。将来、上信越自動車道の交通量は増加することが期待され、予想以上に高い事故率になるおそれがあるとも指摘されておられます。いずれにいたしましても、経験豊富でそれぞれの分野に造詣が深いお二人の専門的高度な見地からの調査結果であると受けとめているところでございます。
 なお、昨年2月10日に発生した北海道古平町の豊浜トンネル事故の教訓から、生命への安全の必要性が再認識されたところでありますが、道路公団では当初計画の切土工法として調査ボーリングを計画しており、この調査結果により施工方法、地すべり対策法、のり面勾配等、安全対策について検討されると伺っております。さらに、この遺跡を保存するとしても技術面、経費、工期などクリアしなければならない多くの課題があることも事実であるというふうに伺っています。例えば今御指摘にありましたトンネル工法を採用した場合、トンネルから山頂にかけて崩落防止のために斜面を階段状にカットすることになり、環濠はおろか山頂平たん面まで掘削が及ぶことが予想されます。加えて見学者の安全対策のために、強固で大きな滑落防護さくもつくる必要があり、環濠そのものを滅失してしまうおそれがあることも想像していただけるものと思います。なお、裏山遺跡の記録保存のための発掘調査は、昨年12月4日に新潟県埋蔵文化財調査事業団による現地調査が終了し、去る2月25日に新潟県教育委員会から日本道路公団に対して調査完了の通知がなされたわけであります。

 埋蔵文化財ばかりでなく、文化財は一度失われたら二度と取り戻せないことは十分承知しております。しかし、後世の人々に事故による命の危険を負わせてはならないことも、現代に生きる者としての責務であると、このように思っています。これらの条件下にある裏山遺跡の保存については、極めて厳しいものがありますが、保存に関する障害がすべて解明されたとは考えられませんので、遺跡保存について想定されるあらゆる角度からの可能性を検討するため、去る13日に文化庁には国の史跡として指定することが可能かどうかという可能性を求め、また同日に道路公団に対しても工事の一時中断とトンネル工法の科学的データに基づく検討結果の教示を依頼するなど、働きかけを行っております。
 ですから、先ほどお話ありましたように口頭回答とかあるいは口頭意見というものも中にはありますが、このような重要な遺跡であるという認識のもとに今ほど申し上げたように特に道路公団においては、このルート上にそういう構造物をつくるというときの技術的な面あるいはまた交通工学上の問題について、しっかりとした考えを書面をもって回答してほしいと、こういうふうに今私は求めている最中であります。それから同時に、これは県の文化行政課にも要望を出しておりますが、これはまことに残念でありますけれども、県の方は既に2月25日に道路公団に調査完了という通知をしたという理由等によって、私どもの要望は受け取れないということで宙に浮いております。これをどう見るか、いろんな御意見があろうと思いますが、私どもは当たるところは全部当たって対応しているということを申し上げておきます。それらの要望した検討結果はまだこれからでありますが、一方市議会の皆さんにおいてもこれに関連する請願書に賛意の意向が示されていることなども視野に入れながら、私といたしましては引き続き道路公団、文化庁、県など関係者と最終判断の下されるぎりぎりまで協議をしてまいりたいと、こう考えております。

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【杉本敏宏】
 回答ありがとうございました。
 裏山遺跡の件では、前向きな御答弁をいただきました。
 12月議会での樋口議員の回答の中で、市長は遺跡の保存が不可能ということになったら、原形を想像できるような機能を備えた記録保存施設の整備を検討していきたいというふうに述べておられますが、保存が不可能のときだけではなくて、可能な場合にもぜひそういう保存施設の整備をお願いしたいと思います。
 この点でも裏山遺跡を守る会の方々が大変な努力をされて、検討を加えておられます。ここに資料を持ってまいりましたが、こういう整備構想図をつくっておられるわけです、(資料を提示)ごらんになっていると思いますが。裏山遺跡のふもとに遺跡資料館をつくって、そこから裏山遺跡に上り、北陸自動車道の上を越えて春日山城へ抜けて、そしてものがたり館へおりてくるという、こういう周遊コースをつくれば、弥生時代から上杉謙信に至る壮大な上越の歴史を学ぶ格好の散策ルートができるのではないかというのが守る会の方々の構想でありますけれども、遺跡が残った場合、残らない場合両方あわせて、やはりこういうふうなことも検討していただきたい。これは、要望でございます。
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【宮越市長】
 裏山遺跡のことについては、間もなく最終的な技術的な問題も含めてそう遠くないときに方向が出て、その方向性を決めなきゃならんということになろうかと思いますが、これは教育委員会という立場、史跡保存という観点という立場と、市政全般という立場と、両方いろいろと総合的に判断して決まっていくものと思いますが、まだ方向性が決まっていないときに、保存できない場合とか、できた場合の保存の仕方とかいろいろなこと申し上げる予断を与えないように私はしたいと思いますから、あえて申し上げませんが、いろんなパターンが想定されるものについても、皆さん方が市民が納得のいくような形をとにかく模索していくということだけは申し上げておきます。

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